しらふ で 生きる。 『しらふで生きる 大酒飲みの決断』生きることは寂しい、だからこそ酒を断つ

しらふで生きる…町田康著 : 書評 : 本よみうり堂 : エンタメ・文化 : ニュース : 読売新聞オンライン

しらふ で 生きる

「ああ。 Posted by ブクログ 2019年12月08日 町田康さんは、ぼくが20年近く追いかけてきた作家です。 」 最後はこんな文章で締めくくられています。 リンク先を読まない方の為に補足すると、お節介おばさんとは、 いらないものを捨てようとすると「本当に捨てちゃっていいの?」「だってこれ高かったでしょう?」「また使うかも知れないし」「勿体ないじゃない」と雄弁に語り出す。 (2020年06月29日 00時04分現在) 通常、ご注文翌日~3日後に出荷されます。 しかし突き落として後、大変なことをしてしまったことに気がついた。

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しらふで生きる 大酒飲みの決断

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と言うと、「えええええええ? あれだけ酒を飲みながら数値に異常がない? すっげぇ、肝臓、すっげぇっ。 酒を止して、「痩せた」「眠れる」「仕事が捗る」などの利得があったのも自信につながったようです。 終盤で綴られる「禁酒の利得」には、強い説得力がある。 所詮は孤独に耐えられない生き物なのである。 以降、2000年「きれぎれ」で芥川賞、2001年詩集『土間の四十八滝』で萩原朔太郎賞、2002年「権現の踊り子」で川端康成文学賞、2005年『告白』で谷崎潤一郎賞、2008年『宿屋めぐり』で野間文芸賞を受賞。

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しらふで生きる…町田康著 : 書評 : 本よみうり堂 : エンタメ・文化 : ニュース : 読売新聞オンライン

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」 このころはまだ、酒に未練があったのでしょうか。 こんなの四半世紀ぶりだ。 何しろ自他共に認める大酒飲みで、古代の政治家・歌人・酒飲みである大伴旅人と、彼が詠んだ「酒を讃(ほ)むる歌十三首」のみを信じて酒を飲み続けてきたような男なのだ。 脳髄からあふれ出てくる論理と思索がリアルタイムで記述されており、大酒飲みから禁酒者への変身過程も興味深い。 ウェブストアに4冊在庫がございます。 そりゃあ、言うにゃ及ぶ、なぜというに、私が健康診断を受けなかったのは、長年、大酒を飲み続けたせいか、なんとなく全身に倦怠感があって、ときに背中のあたりに痛みも感じ、仮に検査を受けたとしたら、ほぼ確実に数値は悪いだろうし、このままいったら死ぬな、という自覚があり、そうなったら酒が飲めなくなり、そんな恐ろしいことになるのは死ぬほど嫌だったので、構えて検査を受けないでいたのである。 本書を読んで、本当に止めたんだと何だか感動さえしました。

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『しらふで生きる 大酒飲みの決断』(町田康)の感想(40レビュー)

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ところが、肝臓はそんなことはない、二十四時間、休みなしに働かせて文句ひとつ言わず、黙って働き続ける。 そんな暗い日々に俺は町田康の小説を読んで、あんまり弁えてなさそうな狂った人々を見てほっとしていた。 なんでも程度問題、というのが一つの答えな気もする。 最新刊は、9編の短編を収めた「記憶の盆をどり」。 長々と自分語りをしてしまったが、本書は酒好きで有名らしい町田康さんが、いかに禁酒するに至ったかを書くノンフィクションルポ…だと思って手を取ったらとんでもなかった。 これまで私は、飲酒をやめようと思ったことすらなかった。 町田さんと言えば、大酒飲みで知られています。

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町田康、酒やめたってよ――『しらふで生きる』|気胸ジェンヌ/健康系編集・ライター|note

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「ああ。 それが3カ月も経つと、酒のことを考える時間の方が少なくなったそう。 ありがとうございました。 著者の禁酒の理由を平たく言うと(以下ネタバレ注意)。 禁酒によって生じた精神ならびに身体の変化、苦悩と葛藤、その心境を微細に綴る。 【内容情報】(出版社より) 痩せた! 眠れる! 仕事が捗る! 思いがけない禁酒の利得。

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しらふで生きる 大酒飲みの決断

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最新刊は、9編の短編を収めた「記憶の盆をどり」。 全く分かりませんでした笑。 休肝日は週1回。 僕は今日、自分が逆流性食道炎になりたくないから酒をやめたいんだというひとつの結論に至ることができた。 これが幸いなのか災いなのか、町田康さんのような苦しい禁酒経験をせずに済んでいるという点からみて、良かったと言うべきか。 この考え方を身に着けるため修行に時間を使い、一切皆苦(=人生)から解脱するというのは、ある意味自殺と同じような気もして、やはりなんとなく気持ちが離れていって、修行に身を投じず、普通の生活をして、50代を迎えている。 それは子宮筋腫&卵巣嚢腫の手術のために、術前3カ月前からホルモン療法をおこなったときのこと。

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